無意識とか潜在意識なんて言葉が
日常的に使われていますが
良くわかんないまま
言葉だけが乱用されているようにも感じます。
そもそも言葉は意識。ですしね。
まるで
食べてない物の魅力を
言葉だけでおしゃべりしているような物になっちゃいます。
それじゃただの上滑り。
なので少し理解してみましょう。
無意識と言っても、
浅い所から深い所までありますが
その中で最も現実的な無意識は身体です。
無意識の概念を生み出した
フロイトさんでさえ
「自我(悩み)は究極的には身体感覚に由来する」
と言っています。
言っていて身体のアプローチをしたって話は
聞かないんやけれど、、。
それが最近では
意識でコントロール出来ない
自立神経だと説明がつくようになりました。
つまり
無意識とは自立神経とそれに紐づく身体の臓器達。
だって
よし!
腸を蠕動運動させよ。
心臓の心拍早くしよ。
トイレ近いから腎臓とめとこ。
とか無理ですよね。
これらは意識でどうこう出来るものじゃありません。
実験で
頭と身体と胃にセンサーつけて
食べ物の前に座ると
①胃が活動し
②手が動いて
③お腹すいたと考える
順番に反応するみたいです。
身体を知っていると、
そりゃそうやろって事なんですが、
脳が司令塔。
脳が全てを支配してるはずと思っているとビックリでしょう。
どちらがどうこうと意識で議論しても意味がないのですが
少なくとも、私が現場で見て感じて来た事は
例えば
脳に作用する薬をいくら飲んでも
原因除去にはなってないって事です。
確かに脳神経物質が心に影響をあたえるけれど
何があったから脳神経物質が減ったり増えたりするのかという
原因には直接作用しないからだと思います。
セラピーしているとわかりますが
思考はふわっとしてて安心してる感じですが
身体診るとずっとストレス反応状態です。
身体心理療法で言えば
思考と身体の分断
思考と感情の分断です。
上がってくる無意識の感情を思考レベルで操作し止めているなら
当然
効果が切れるとより激しい反応が出ます。
実際そういう方を多く見てきました。
向精神薬は麻薬に分類されるものですから
簡単にはやめられません。
本当に緊急性の高い時に使うもので在って欲しいと願います。
脱線しましたが
つまり
私達の気持ちや情動は
身体の神経を通して無意識に起こっていて
それを
意識や意識に作用するもので
コントロールしようとする事は
本当の反応を抑えているに過ぎないわけです。
当然そうしなければいけなかった過去はあります。
必死で抑えなければいけなかった恐怖が心や身体に残っている。
トラウマと呼んでいるものですね。
ただ
本当に生きる気力を無くしていく生き方は
まさに肚を見せない生き方であることも確かです。
そのままいくといずれお手上げになります。
必要なのは肚を割って話し、表現する力です。
身体で言えば
無意識の自律神経が交感神経をちゃんと活動させること。
これは意識では届きません。
肝の座った生き方をするには
まずは
考えるというコントロールを手放し自分の身体に気づくことからです。
当然不快もあがってきますが
それをジャッジせず無意識から起こる自然な反応に任せていくことです。
最近は流行りに惹かれて一足飛びにトランスパーソナルな領域に入り
思考の中のスピリチュアルを強化されている方もいますが
意識の土台になる身体の統合無くして身体を超越する事はありません。
身体感覚という無意識に戻り
今ここにある自分を感じていきましょう。