現代は本当に多くの「癒し」の場が溢れかえっています。
仕事や人間関係に疲れた方の駆け込み寺の様な役割として
どんどん広がっていったのでしょう。
例えば、最近はサウナが流行っていますが、
身体心理を扱う立場としてはとても興味深いことです。
サウナの癒しは
物理的に交感神経を急激に上げ、
副交感神経に移行するプロセスに心地よさを感じる事です。
身心にストレスを加え、限界まで緊張を高め続け
自分の中の抵抗が終わるのをひたすら待つわけです。
心理的には
抵抗(我慢)が崩れ、自ら敗北を認めた時
日常では味わえない穏やかな自分に出会う事が出来るわけです
これはとても解放された気分になります。
我慢の多い
ビジネスパーソンに人気が出るのもうなずけます。
しかしなぜ、これだけ癒しの場が増えても
癒された。苦痛が消えた。
もう大丈夫。とはならないのでしょう。
本当に癒されたのであれば
サウナに行く必要がなくなってもいいはずですよね。
心の構造
何度通っても繰り返す理由は、
心(感情)を無視していることにあります。
無視された感情は当然納得出来ず
また同じストレスとなって再現してきます。
飲んでいる間は効果が続くサプリや健康食品などと同じです。
ビジネスで良くあるように、
リピートしてもらうためには本当に治ったら困るわけです。
ただ、物質的な物であればサプリをやめ、食事を見直す程度ですが
心、感情の問題に直接向き合うこと。となると
かなりハードルが高いものです。
現代は不快なものを避ける傾向がありますし
無痛主義的なのは大きな要因の一つだと思います。
そうなると
またサウナに行って一時的な解放感で癒される。
そしてまた再現する
このループが起こるわけです。
無視された心
では無視された心とは何でしょうか。
それは、怒りや悲しみ、絶望感であり
長い期間をかけて
感じる事、表現すること自体が怖くなってしまった
感情です。
この感情は、いつも心の奥に閉じ込められています。
氷で覆われた、消える事のない炎のようなもの。
いくら癒しの場を求め続けても
同じ苦しさが現れてくるのは
その炎で氷が溶けそうになるからです。
そういう意味で
多くの人が癒しだと通う場は、
炎を覆うための氷を分厚くしていく方向に向かっていることかもしれません。
いずれこの感情(炎)を解放しない限り炎上します。
これを、ついにキレた、などと表現するわけです。
キレた人は本当に切れていきます。
会社を辞めたり、離婚したり、情動的な行動で
色々な繋がりを切っていきます。
皮肉にも、これは解放にあたりますが
コントロール感のない暴走でもあるわけで
失いたくないものまで失う事が多いです。
ですから、炎が内側にあるうちに、
自分の意志で引き出すことが必要です。
丁寧に引き出し、
意志の伴う感情表現が起これば、癒しの場を過度に求める必要なくなります。
癒された自分があるだけです。
癒しとは癒しの場やその行為に囚われなくなること。
別の言い方をすれば
自分の中に備わる癒しに気づく事と言えますね。