自分を理解したい、知りたい。という方はとても多いです。
とにかく「知っていれば」問題が解決すると思い込んでいるからでしょう。
しかし、知ることで問題が解決することはありません。
苦しみの理由を知る作業に、痛みをやわらげる効果はないからです。
それは、病気に詳しい病気持ちを目指す様なもので
病気の中で病気であることを言い訳し続ける行為です。
病気仲間は増えても、健康な人生を体験することは決して出来ません。
理解だけを求めても
苦しさの中で苦しさについて考えている人を目指すだけで
苦しさの外に出るためには、何の役にも立たないということです。
情報の落とし穴
少し考えればわかる事ですが
世の中に情報が溢れ返っているのを見ると
それだけ多くの人が情報に翻弄されているのでしょう。
例えば、何かを選ぶ際に、口コミや肩書き、
その人の知的レベルなどで判断している方は多いのではないでしょうか。
それがまさに落とし穴です。
沢山知っている事は、実際に優れている事とは何の関係もありません。
医学の知識をもっているから優れた人格に感じたり
法律に詳しいことを正義感のように感じたり
心理的な知識量で優れた心のカウンセラーだと錯覚したり
無意識に思い込んでいることが思い当たるのではないでしょうか。
これは
社会構造そのものが「理解出来ているか否か」で
人をジャッジし評価することで成り立っているからです。
意識しなければ、無自覚に私達自身が知識になろうとしてしまう世の中で生きているためです。
知識に心が乗っ取られているわけです。
AIが人間に近づいた。と言う話を聞きますが、これは大きな勘違いです。
人間がAIに憧れ、AIに退化しようと言っている様なものです。
これに気づける方は、随分心が楽になるものです。
知的レベルという極狭い領域の物差しで人の全体を図る事など出来ません。
心や精神に限って言えば、破滅的な行為だと思います。
人間は知識ではありません。動物であり生き物です。
生き物としての機能を回復する
本来の人間としての機能を回復するには、まず
この「理解ゲーム」から抜ける事が大切なプロセスです。
今の症状
今の性格
は、何かを「理解しようとするゲームの中で現れている」という事実を受け止めていく事です。
何を調べたらいいのか。
何を知ったらいいのか。
をやめること。
そして
自己理解ではなく、自己観察をすることです。
自分に何が起きているのかに意識を向ける。
何を感じたいのか
何を感じたくないのか
身体をどう使っているのか
考える以外の事に集中していく事です。
瞑想などは効果がありますが、
余計な目的を持たず、瞑想することを目的にしましょう。
十分に観察し、今の自分を感じられた時、
ほとんどの場合、考えは自然に浮かんできます。
つまり
理解が悪い事なのではなく
体験から自然に起こるものになって、意味を成すのです。
まずは理解を止めて、体験にシフトしていきましょう。